常陸国天王村絵図
概要
この江戸期の図面は一つの村を三名の領主が治める。それも道や川で区切る三分割ではなく、ばらばらに領分が分散しており、複雑です。そのための絵図と考えられます。このような支配体制を相封又は相給村と称し、多く存在していました。大変珍しい絵図です。図面サイズも巨大で、210cm×260cmあります。検地絵図でも紹介しましたが、江戸期の年貢は村が責任をもって村単位で納めていました。このような相封村はどのように年貢をまとめていたのか?興味がわきます。
この江戸期の図面は一つの村を三名の領主が治める。それも道や川で区切る三分割ではなく、ばらばらに領分が分散しており、複雑です。そのための絵図と考えられます。このような支配体制を相封又は相給村と称し、多く存在していました。大変珍しい絵図です。図面サイズも巨大で、210cm×260cmあります。検地絵図でも紹介しましたが、江戸期の年貢は村が責任をもって村単位で納めていました。このような相封村はどのように年貢をまとめていたのか?興味がわきます。